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イブン・バーッジァに続いて西方イスラーム哲学の代表者となったイブン・トファイルの有名な哲学小説『独学の哲学者』の原名が
「ヤクザーンの子 ハイ」
であることについて書いてもいいのですが、
やはり告知でしょう。
いろいろ忙しすぎて2週間以上まともな睡眠がとれない状態でライヴの前日になったわけで。
そこで思いを馳せるのが、NewYorkで経験したおもしろいリスニング体験なんですね。
春の渡米はその前からかなりの強行軍で、活動限界の一歩手前でライヴや大食、大歩き、睡眠不足続きで、ブルックリンのあとやっと休めるようになっても、せっかく来てんだからと遊びまくり巡りまくりでした。
アパートに帰り着き、手や顔を洗ったら、部屋にもともとあったラジカセに戦利品のCDをセットします。
(このラジカセがラグビー・ボールよか少しでかいくらいのころころと丸い安価なやつなんだ)
で ソファにどかっとなだれこむと、もう指一本動かせません。
目をつむると同時に眠りの国の関所を毛でぼーぼー越えています。
でも脳は起きているんです。
買ったばかりのCDがせっかくかかってるんだから当然です。
この状態で別々の日に2枚のアルバムを聴いたのですが、
ひとつは Neil YoungのPerformance Archive vol.2 初期のソロ・ライヴですね。
もう一枚は Metでやってた「バルセロナと近代」展(サクラダ・ファミリアの構造計算用の模型とか万博のスペイン館の模型とかよかった)で買った 「Music of Barcelona」というバルセロナゆかりの作曲家のコンピ。
まぶたをあける力も出ないのに、聴覚と、それをサポートし連動しイメージを生成するような脳の機能だけはその場の音によって繋ぎとめられている。
透明でしみ込んでくるようでいて力強く、まるで彫刻のように立体感のある音楽が自分との境界線を消し去りつつ身体を置き去りにして鳴っている。
睡眠状態でコントロールは効かないのに、その音に「信じられないなんだこれは」と冷静に興奮している自分がいる。
その音と自分とは不可分であるから、その驚きは自分自身に対する驚きでもあるということ。
なんていい音なんだとNeilのCDを後日聴きかえしても、同じ音には巡り会えませんでした。
バルセロナの方は今でもわりあい、あのときと近い感じで聴けています。
ラジカセはうまくまとめてあるというのはありますが、
再生装置が割としょぼかろうが、環境と意識状態と的確な音量によって
驚くべき音楽体験は可能。
見方を変えて「合理的な言葉」にするとそういうことでもあるんですが、やはりそこには「あまり」があるんですね。
とりたてて神秘的なことを言うつもりはないですし、こういったことは個人的な体験なんで書きづらいものでもあります。
(NYCでは相方も一緒に同じような体験をしていますけど。)
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